いつからでもやり直せる社会へ
現在、私は、耳鍼による依存症治療団体、一般社団法人NADA JAPANの代表として活動をしています。この活動を通じて、依存症へのアプローチは「医療だけ、福祉だけ」では解決せず、医療・福祉・司法・地域社会といった、社会全体・多方面からの「多様性のあるアプローチ」が絶対に必要だと強く感じるようになりました。
今の日本社会には依存症という病に対する偏見や誤認識が満ち溢れています。「人間やめますか?覚せい剤やめますか?」や「ダメ、ゼッタイ」といった、依存症者の人格まで否定するような間違った啓蒙活動や、有名人の薬物問題に対するマスメディアの異常なまでのバッシングの数々は、社会から依存症者を排除し、居場所を無くさせ、更なる孤立を招き、再び薬物の世界に戻ってしまう、といった悪循環を招いており、依存症からの回復を阻む結果となっています。
依存症には、覚せい剤やヘロインなどの違法薬物だけでなく、アルコールやニコチン、医師が処方する処方薬(向精神薬)の依存症、あるいは、ギャンブル依存症、近年社会問題化しているゲーム依存症、ネット依存症、買い物依存症、クレプトマニア(窃盗癖)、セックス依存症などがあり、その規模は1000万人規模だとも言われています。ちなみに、糖尿病の患者数は316万人(平成26年)、高血圧の患者数は1010万人、つまり、依存症は、高血圧並みにありふれた病であり、国民全体に係る健康問題ということができます。
欧米には、依存症からの回復を支援する社会資源が多くあり、世界は、厳罰化の時代から治療・回復支援の時代へとシフトしています。ところが、日本では、未だ厳罰主義一辺倒で、治療・回復支援を担う医療も福祉が圧倒的に少ない、というのが現状です。
そもそも、なぜ人は依存症になるのでしょうか?
依存症者は、もともとメンタルヘルスや生育状況に問題があった人、また、そういった問題が無くても、失恋や失職、事業や受験の失敗などが原因で孤独感を埋めるために、何らかの依存性物質が必要だった、という人が大半です。
「生きにくさから逃れるための自己治療」それが依存症です。
今の日本は「生きにくい社会」になってきています。SNSの発達で、一瞬で繋がることができる反面、つながりはあまりにも希薄で極端。ちょっとした失敗・失言・失態に群がるバッシングと野次馬根性。「自己責任」という重い荷物を背負わされ、背負いきれない時にSOSすら出せない、そんな社会になってしまった、と感じるのは私だけではないはずです。
一度や二度のつまづきがあろうとも、「人生やり直したい」と思う人がいる限り、その手を払いのけるような社会にはしたくない。
私がNADAの活動を通じて訴えたい想いです。