小さい頃からやせっぽちで、自分が太るなんて想像もしていなかった私。
ところが、2人目の出産後、
おっぱいを出すために食べまくり
気がつけば、妊娠中よりも体重が増えてしまいました。
当時、29歳。
「いつか元に戻るだろう」とタカをくくっていましたが、
体重は減るどころか増え続け
当時、32インチの旦那のGパンが太ももまでしか上がらないという事態に!
このままでは女が終わる!と一念発起!
ダイエットに励み、ありとあらゆる方法を試しました。
りんごダイエット、キムチダイエット、ヨーグルトダイエット、とかちゃんベルト、脂肪燃焼サプリ、などなど
痩せると聞けば、片っ端から試してました。
かかった金額は、ゆうに100万を超えていたと思います。
減った!増えた!と一喜一憂大騒ぎする中で出会ったのが
「サプリメントを使わない耳ツボダイエット」でした。
耳ツボダイエットを始めて、それまでの
「食欲との戦い」
「甘いもの食べまくりたい病」と決別し
無理なく健康に15キロの減量に成功しました。
耳ツボと出会って、何よりもびっくりしたのが
体重が落ちただけでなく、
死にそうなぐらいのイライラや落ち込みが無くなり
精神的にとても穏やかになったことです。
イライラやストレスで
エンゼルパイを12個イッキ食いしていたことがまるで嘘のようです。
自分自身が痩せたこと
もともと運動が好きだったこと
もあり、ダイエット成功後、耳ツボダイエットトレーナーとしてサロンを始めました。
来る人、来る人、面白いように痩せていき、
口コミだけでそこそこ集客できていたのですが
単価が安すぎたこともあり、
お客様は来るけど赤字という状態が続きました。
なんとかしなきゃと、さらに単価を下げ、
さらにさらにドツボにはまり。。。
開院から2年で閉院になってしまいました(涙、涙、涙)
2年で約80人のダイエットを指導して、痩せなかったのはたった1人。
メソッドとしては間違っていなかったのだと思います。
ちょどその頃、息子との離別や、恋愛関係のゴタゴタ、
事業の失敗が重なり
徐々に生活が荒んできました。
仕事もせず、朝からビールを飲む毎日。
起きている時は飲んで、酔っ払ってそのまま寝て
目が覚めたらまた飲んでの繰り返しでした。
自分は、息子からも、恋人からも、
社会からも必要とされていないんだという思い。
飲んでも飲んでも晴れない心。
そのうち人と会うことも苦痛になり、
お酒を買う以外、外出もしなくなりました。
一度だけ
「もう死にたい」と、母に手紙を書いたことがありました。
本気で死にたいと思っていたかどうかは、
今となってはわからないけど
誰かに助けて欲しかったのは事実です。
そんな荒れた生活を半年ほど続けて、
お金もとうとう底をつき
涙も枯れはてた頃、ということだったのでしょうか。
何がきっかけでそうなったのか、
これといったことがあったわけではないのですが
「もういいや、どうにでもなれ」という気持ちになり、
なんとか仕事にも復帰することができるようになりました。
今から5年ほど前です。
でも、その時の心の傷が、未だに時々疼きます。
精神的にも経済的にも、まだまだ完全復活ではありません。
自分のケアは後回しになってしまってることに反省しきりな毎日です。
ダイエットから耳ツボに出会って、
NADAの活動から依存症と関わるようになったのは
今思えば、必然だったのだなと思います。
ダイエットの経験だけではNADAをやろうとは思わなかった。
自分自身のアルコールの問題や、母としての想い
そういったものが積み重なって
「NADAをやろう、やらなければ!」
という原動力になっているのだと思います。