東京女性政治塾・第一回目を終えて〜パンダと聖子

4月20日(日)、東京女性政治塾・第一回目に参加してきました!

日曜日の午後からっていう時間帯だったので、その日の朝の新幹線でも間に合うっちゃあ間に合うんだけど

せっかく新幹線乗って東京さ行くんだから、前乗りで土曜日から東京に乗り込みました。

で、せっかくなので、上野動物園でパンダ見ちゃおうかな〜と軽い気持ちで行ってみたのですが

パンダ見るための行列「90分待ち」

ないわ〜ないわ〜

パンダに90分はないわ〜

ということであっさり退散し、ゾウやらゴリラやらトラやら、あんまり珍しくもない動物を見てきました。

悔し紛れに「UENO ZOO」グッズ買いましたけどね。

今となっては要らんかったな、と思います。

人間、悔し紛れで正しい判断なんてできない、という良い例です。

 

そんなこんなで、迎えた4月20日。

会場は浜松町。13時開始でしたが、前のめりな性格なので12時20分頃に到着。

すでに前の方の席は埋まってました。

みなさん、気合い充分ですね。さすが、女性政治塾です。

 

今日の目玉は、なんてったって、

野田聖子塾長のお話と、野田聖子塾長との名刺交換会

(その他の講師の方のお話は、まあ、正直あんまり興味なかったです。

金融?の話は、専門用語連発で、アレルギー反応。今、覚えているのは

「今年から来年にかけて、株価は下がらない」と言うことだけです。

この話は、政治塾の初回に必要な話なんだろうかという疑問がふつふつ湧いてきて

途中からお尻がムズムズしてしまいました。なので、感想は野田聖子塾長のお話ONLYでいきます。)

 

本題に入る前に。。。

野田聖子先生、お写真で見るより、数千倍美しい方でした。

漏れ聞く噂では、58歳だとか?

いやいや、もうね。

年齢の問題では無く、存在がキリッとしていてかっこいいんです。

写真より、ずっとほっそりされてます。

ネイビーのスーツをお召しでしたが、着られてる感ゼロ。

意志のある人が着ると、スーツがこんなにも決まるんだ!と、思いました。

それと、バッグとか、ネックレスとか、腕時計とか、

一見してそれと解るブランド品は一切身につけておられませんでした。

そんなモンは必要ないのでしょうね。

 

っま、ま、野田先生の外見の話はこれぐらいにして、本題です。

 

野田先生がこの女性政治塾を始めた理由は3つ

⑴ 次の世代にバトンを渡す。これからの人に自分が今まで培ってきた人脈を大いに活用してほしい。

⑵ 今まで取り組んできた、政治の女性参画の集大成にしたい

⑶ 女性活躍、なんて、あえて言わなくていい社会、政治にしたい

 

私の記憶が正しければ、野田先生は、自民党初の女性参議院議員だったはず。

初当選は26歳?だったと仰ってました。

お爺様が議員で、その孫娘ということで担ぎ出されたのだそう。

政治の「せ」の字もわからない、当時26歳の聖子先生がなぜ断らなかったか?

それは「政治に対して偏見も無く、政治がどんなものかも知らなかったから。」

そして「何もわからないのだから、言われた通りにやればいい、と言われ、肩の荷が下りた。今でもその時の気持ちを忘れないようにしている。」

 

これって、一見「ただのお嬢の戯言か?」と思っちゃうところですが

よくよく考えたら、すごい根性です。

人間、ちょっと賢くなって自我が強くなると

「言われた通りのことをする」というのが本当に難かしい、というか出来ない。

私なんぞ「言われたことの逆をする」を人生の信条にしてる人間にとったら、言われた通りのことを、すすすすす〜っとできることの素直さ・強さ、がすごいと感じました。

私も素直になろう。。。

 

そんな矢先、人が感心して、涙してるところに、聖子先生は逆パンチを仕掛けてきました。

 

「当時、女性議員は私(聖子先生)しかいなくて、私は『異端』だったんです。で、異端として何ができるかと考えた時、異端として、これまで人がやってこなかったことをやろう、と決めました。それが、環境、情報通信、子供でした。」

 

素直に人の言う通りにしたか、と思えば、異端として人のしてないことをする。

この剛柔織り交ぜる発想と行動力。

これが、一流政治家の一流たる所以なのだと思いました。

 

今、日本の女性議員の占める割合は10%程度。

これは先進国でも最下位に近い数字です。

フィンランドはなんと46%が女性議員です。

そんな完全な男性社会である政治の世界で

女性であるハンデを克服する唯一のことは

貫くこと

だと断言されました。

 

「貫く」ことは、単純に継続する、と云う意味では無く、

「意志を持ってそこにいる。意志を持ってやり続ける。意志を持って信じる。」

ことなんだと私は解釈しました。

貫くことで、人からの信頼を得ることができる。

 

心にグサッと突き刺さりました。

私、貫けてないな。。。

 

それともう一つ。

聖子先生は「与党」であることが重要だと仰っていました。

与党とは、要するに数が多いと言うことです。

与党であるからこそ、自分の信条を政治に反映させることができる、責任を果たすことができる。

 

私がNADAのメンバーを増やしたいのは、この「数」が力になる、と信じているからです。

鍼灸師であるなら、会に所属しなくても鍼治療はできる。

でも今、私がやろうとしているのは

・メンタルヘルスに対して、鍼治療を保険で受けることができるようにする

・依存症に対する偏見を無くし、回復を支援できる社会にする

社会を変えることが目的です。

 

だから、メンバーを増やして声を大きくしていく必要があるのです。

小さな魚が束になって動けば、外界から身を守れるだけで無く、スイスイと大海を渡ることができる。

依存症界における鍼灸治療の与党になる、これが私の目標です。

 

迫力満点の聖子先生の講演の感動のまま

いよいよ、最後の聖子先生との名刺交換会がやってきました。

私はかなり最後の方だったので、スタッフさんの「たったと済まして!」感溢れるプレッシャーの中

30秒だけの名刺交換&ご挨拶になってしまいました。

それがちょっと残念でしたが、少し希望を感じたのが

「そんなこともあるんですね、初めて知りました、勉強します。」

と言っていただけたことです。

 

聖子先生も知らない世界を私は知っている

 

これって、すごい可能性があるってことじゃないですか?

「誰もしてこなかったことをやる」

にマッチしてるんじゃないですか?

 

一人ほくそ笑みながら、帰りの新幹線にビール持って乗り込んだ次第です。

パンダのことは水に流してあげてやるぜと、東京にさよならを告げました。

 

次回は5月19日

 

三原じゅんこ先生、登場です。